子どもや高齢者、美術にさほど詳しくない方でも楽しめる鑑賞法として人気がある「対話型鑑賞」。
しかし「対話型鑑賞は、美術教育の妨げになっている」とする批判もあります。
対話型鑑賞は遊び?レクリエーション?それとも鑑賞教育?
この記事を読むと、
- 対話型鑑賞が批判される理由
- 対話型鑑賞の美術教育的要素
がわかります。
鑑賞は難しい?
私は山田五郎さんのYouTubeチャンネル1が大好きです。
山田さんは、豊富な経験と知識で作品に関する歴史、作家の人柄、社会背景など、わかりやすく解説していて、とても勉強になります。
山田さんのYouTubeを見てから、作品を見返すと『なるほど!』と頷きたくなることがよくあります。
しかも、自分がちょっと賢くなったような気がします。
でも、山田さんのような方がいないと、アートって楽しめないのでしょうか?
山田さんが行う鑑賞は『探究型鑑賞』と呼ばれています。
まさに山田さんが実践されているように、作品の描かれた時代背景や、作家の人柄、人生、技法などあらゆる角度から作品を深く深く、探求していきます。
そのため、作品だけでなく、作家の交友関係、世界史、宗教史、時代背景や世界情勢まで、いろんな知識が必要です。
並の勉強では、到底このレベルにはたどり着けません。
小中学校の先生方の中にも、鑑賞の授業が苦手という方はたくさんいらっしゃいます。
関西国際大学 松岡教授が小学校の教員に対して行った調査では、図画工作指導に積極的と回答した教員が45 . 6%だったのに対し、鑑賞指導に積極的と回答したのはわずか9 . 5%でした。
確かに、色んな知識があれば、美術の楽しみ方も広がるでしょう。
しかし、そのことが
「美術を楽しむには知識が必要」
という思い込みを生じさせ、美術鑑賞を難しいものにしていないでしょうか。
対話しながら鑑賞する
美術館では、静かに作品鑑賞するもの。
というのが日本の美術館のマナーになっていますね。
しかし、海外の美術館では、絵について話しながら絵を鑑賞している方をよく見かけます。
絵について話しながら作品鑑賞する方法を対話型鑑賞といいます。
「話しながら鑑賞するって迷惑じゃないの?」
もちろん、マナーはあります。
大声で話したり、作品の前を陣取ったりするのは、マナー違反💦
対話型鑑賞は、美術館が主催する会に参加するか、美術館の了承を得て行うのが原則です。
山田五郎さんの鑑賞のように、豊富な知識で作品を探求する鑑賞も、対話しながら行えば、対話型鑑賞と呼ばれますが、このサイトでいう『対話型鑑賞』は『探求しない鑑賞』ということにしますね。
探求しない鑑賞
探求しない鑑賞の代表的な手法のひとつに、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開発された手法を元にした
ビジュアル・シンキング・ストラテジーズ(Visual Thinking Strategies)、略してVTSという方法があります。
VTSの最大の特徴は、鑑賞者に作品の知識を与えることを目的にはしていないことです。
進行役であるファシリテータは、基本的に3つの質問をもとに鑑賞者と対話しながら作品を鑑賞します。
- 絵の中で何が起こっていますか?
- どこからそう思いましたか?
- 新しい発見はありますか?
※ここでは、対話型鑑賞の代表的な手法としてVTSをあげていますが、他にも京都芸術大学が推進するACOPなど、様々な対話型鑑賞の方法が研究されています。
「カエルがいる!」
末永幸歩さんは著書『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)2の中で、大原美術館で起きた素敵なエピソードを紹介しています。
場所は倉敷市の大原美術館、子どもたちを招いてモネの《睡蓮》の前で行われた、対話型鑑賞の中で起こった出来事です。
学芸員の「絵の中で何が起きていますか?」
という問いかけに、4歳の男の子が蓮の花を指差して、
「カエルがいる!」
と声をあげます。
《睡蓮》にカエルが描かれていないことを知っていた学芸員は、
「えっ?どこにいるの?」
と聞き返します。
すると、男の子は、
「いま、水にもぐってる」
と答えたそうです。
男の子は、大人には見えないカエルを”発見”しました。
対話型鑑賞は、ファシリテータや参加者、そして作品と対話します。
もしも、学芸員が『絵の中に何が見えますか?』と質問していたら、カエルは見つかっていなかったかもしれません。
対話型鑑賞への反論
対話しながら作品を鑑賞する方法には、教育的な立場から否定的な意見も数多くあります。
- 美術史を理解しないで作品を理解したとは言えない。
- 言語教育の一環であり、美術教育とは言えない。
- 対話型鑑賞の参加者は誤った解釈をすることも多く、放置することはできない。
- ファシリテータが道案内をせず、参加者が思うママに意見を述べあっても得るものはない。
- 学校教育の評定制度(成績を付けること)になじまない。
- 対話型鑑賞は、レクリエーションの域を出ず、教育とは言えない。
- 情緒的、感情的側面に依存した鑑賞法であって、教育の理念に沿っていない。
などなど、その批判は枚挙にいとまがありません。
美術品やその作家は、歴史や文化と深く結びついており、誤った解釈を認めないのは頷けるところです。
我が国の学校教育では美術を<正しく>理解することが求められます。
作家、作品名、年代、作風、同時代のできごと、モデル、などなど。
絵や彫刻を、<どう感じるか>は重要ではなく、とにかく正しく<暗記>することが美術教育と考えられてきました。
図画工作も同様で、独創性より<いかに手本に近づけられるか>が重視されてきました。
近年の学習指導要綱では、個性や独創性を重視する傾向にありますが、教員の立場からすれば、それらをどのように評定するかは非常に難しい作業になりました。
その結果、アンケートのように、殊に鑑賞教育に積極的でなくなるもの仕方のないことのように思えます。
好きにならなきゃ始まらない
鉄道マニアやガンプラマニア。どんな道にも極める人がいます。
なぜ、極められるのでしょうか?
一言で言えば好きだからではないでしょうか。
探究型鑑賞は、美術品や美術史、アート全般に関心のある方にはとても楽しめるし、勉強にもなります。
しかし、好きになる前に、例えば鉄道に関心がない人が、鉄道の写真を撮ることは稀でしょうし、ガンダムに関心がない人がガンプラを極めようと思うこともないでしょう。
多くの人が、好きになってから探究しようとする心が芽生えます。
そして、何かを好きになるのに特段の理由がないことも普通のことです。
人の行動動機は、外部からの要請や圧力で行動する「外発的動機」と、自身で何かをやらなくてはならないと思い行動する「内発的動機」に分類できます。
このうち、外発的動機は、反発心《心理的リアクタンス》から逆効果を示す場合が多いことが知られています3。
つまり、学校の美術科教育は、美術に関心のある児童生徒には「内発的動機」として探究心が促されますが、関心のない児童生徒には「外発的要因」として反発が生じやすくなります。
「食わず嫌い」ということばもありますから「やってみたら意外と面白かった」ということもあるかもしれませんが、強要すると反発の方が大きくなってしまうでしょう。
音楽を好きになるとき、作曲家や作詞家、歌手や奏者について知っている必要はありません。
メロディや歌詞、リズムが好きになってから、曲名や演奏者を知りたくなるでしょう。
同じように、絵を好きになるとき、作品名や作家について知る必要はありません。
好きになってはじめて、もっと知りたいという知的欲求が内発されるのですから。
対話型鑑賞で培われるもの
対話型鑑賞はアートに関心がない人にも、アートに関心を向けるきっかけを与えてくれます。
探求するのは、その後でも十分です。
ハーバード大学教育大学院は、MoMAのVTSを詳しく調査研究し、この鑑賞方法があらゆる知的好奇心を刺激することを明らかにしました4。
アメリカでは、VTSを美術だけでなく、数学や科学、医学にまで応用する事例が報告されています。
我が国では、獨協医科大学准教授の森永康平医師5が率先して医師養成プログラムで対話型鑑賞を取り入れています。
「他の分野に役立つのなら、なおさら美術教育、芸術教育とは言えない」
という反論も聞こえてきそうです。
対話型鑑賞は作品名や作家名、作品の由来などの情報を明かさずに行うことがあります。
参加者は、初めて出会う作品について、よくみて、考えて、感情をことばにします。
そのため、世の中の評価や作家に対する思い入れを一切排除して作品に向き合います。
どんな名画でも、いつの時代かに誰かが無名の作品の中に価値を発見しました。
対話型鑑賞の参加者は、かつて名画を発見した誰かと同じように、未知の作品に対峙し、既成の評価に左右されることなく、自身で作品を評価する目を養います。
知識と経験
皆さんは子どもの頃、あるいは学生時代のことをどれぐらい記憶していますか?
すぐに思い出されるのは、先生から叱られたことや友達と遊んだこと、旅行や恋愛の思い出などではないでしょうか。
私は学生の頃、必死に西洋美術史を勉強しましたが、今ではすっかり忘れてしまいました。
何年経ってもすぐに思い出す記憶と、すぐに忘れてしまう記憶。
この違いは何でしょう?
体験は感情や知覚と複雑に結びつくことを意味し、長期記憶として脳に保存されます。
一方、関心のない人の話しや、一夜漬けの試験対策の記憶は短期記憶として、すぐに忘れてしまいます。
(ただし、”忘れる”ことも人にとっては大切な能力のひとつなので、いけないことではありません)
対話型鑑賞は、知識よりも体験を重視します。
作品の前で、考え、人の意見を聴き、ことばにする。
これは一人では体験できないことです。
対話型鑑賞は、体験として長期記憶に保存されます。
仮にそれが誤った解釈であっても、後で修正すればいいだけの話しです。
さらに言うならば、学習指導要綱では、知識や技能だけを獲得目標としてはいません。
思考力や表現力、人間性も重要な要素と位置付けられています。
文部科学省 小学校学習指導要綱解説編 p.7より
- 生活や社会の中の形や色などと豊かに関わる資質・能力の育成を一層重視することを示す。
- 育成を目指す資質・能力を,「知識及び技能」,「思考力,判断力,表現力等」,「学びに向かう力,人間性等」の三つの柱で整理して示す。
- 図画工作科の特質に応じた物事を捉える視点や考え方である「造形的な見方・考え方」を働かせることを示す。
- 育成を目指す資質・能力の三つの柱のそれぞれに「創造」を位置付け,図画工作科の学習が造形的な創造活動を目指していることを示す。
対話型鑑賞をレクリエーションと断じるならそれでもよいでしょう。
しかし、探求した知識だけでは、学習することの目的である、思考力や人間性を育成するのが難しいことも事実ではないでしょうか。
こどもに限らず、知識を得ただけでは、成長とはいえません。
知識は体験と一体になることで、人間形成に役立つのではないでしょうか。
まとめ
学校教育課程での対話型鑑賞は、美術教育的要素よりもチームビルディング、相互理解など教科とは直接関連のない分野において特に効果的なようです。
そのため、「対話型鑑賞は美術教育ではない」と分類されがちです。
一方で、美術に関心の薄い児童生徒が美術に関心を持つきっかけになる事例も多く、その意味で基礎的美術教育とも言えそうです。
美術への関心は家庭の所得とも関連していることが知られています。
本来、経済的な事情と美的好奇心は関連のないものですが、高所得家庭の方が美術にふれる機会が多いことも事実です。
もしも、家庭の事情で「美術はお金持ちの趣味」という認識が根付いてしまったなら、社会的、文化的資本を育成することが目的であるはずの学校教育の立場からも大きな損失です。
対話型鑑賞には、美術を通じて教科教育の基礎を支えるチカラがあるように思います。
対話型鑑賞には、図画工作、美術科教育にそぐわない面が確かにあります。
しかし、子どもの美術への関心、探究心の入口をひらくカギになることも事実です。
少しのコツさえ身につければ、高度な美術史の知識は必要ありません。
ぜひ一度トライしていただければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
<註記>
- 山田五郎 YouTubeチャンネル 『オトナの教養講座』 ↩︎
- 末永幸歩/著「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社2020年 ↩︎
- 栗田季佳「見えない偏見の科学」京都大学学術出版会2018年 p.35 ↩︎
- HARVARD GRADUATE SCHOOL OF EDUCATION
「Investigating the Educational Impact & Potential of The MoMA’s Visual Thinking Curriculum」 Nov,1999 ↩︎ - 森永康平 ミルキク代表、獨協医科大学 非常勤助教、MED AGREE CLINICうつのみや院長 ↩︎
<参考文献>
・フィリップ・ヤノウィン著/福のり子訳 『学力をのばす美術鑑賞』淡交社 2015
・美術科教育学会 『美術教育学の歴史から』 学術研究出版 2019
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