時として子どもは発想や着眼点で大人を驚かせることがあります。
「カエルがいる!」
美術館での絵画鑑賞。
と聞くと、ちょっとハードルが高い感じがしますね。
でも美術はそんなに堅苦しいものではありません。
美術鑑賞の方法のひとつに「対話型鑑賞」という方法があります。
数人で絵を見ながら、ファシリテータの案内に沿って、参加者同士対話しながら鑑賞します。
美術や作家に詳しくなくても楽しめるのが対話型鑑賞の特徴のひとつです。
岡山県倉敷市の大原美術館で起きた素敵なエピソードがあります1。
子どもたちを招いてモネの《睡蓮》の前で行われた、対話型鑑賞会。
学芸員の
「絵の中で何が起きていますか?」
という問いかけに、
4歳の男の子が蓮の花を指差して、声を上げます。
「カエルがいる!」
《睡蓮》にカエルが描かれていないことを知っていた学芸員は、
「えっ?どこにいるの?」
と聞き返します。
すると、男の子は、答えました。
「いま、水にもぐってる」
男の子は、大人には見えないカエルを”発見”しました。
対話型鑑賞は、ファシリテータや参加者、そして作品と対話します。
もしも、学芸員が『絵の中に何が見えますか?』と質問していたら、カエルは見つかっていなかったかもしれません。
対話型鑑賞への反論
対話しながら作品を鑑賞する方法には、教育的な立場から否定的な意見も数多くあります。
- 美術史を理解しないで作品を理解したとは言えない。
- 言語教育の一環であり、美術教育とは言えない。
- 対話型鑑賞の参加者は誤った解釈をすることも多く、放置することはできない。
- ファシリテータが道案内をせず、参加者が思うママに意見を述べあっても得るものはない。
- 学校教育の評定制度(成績を付けること)になじまない。
- 対話型鑑賞は、レクリエーションの域を出ず、教育とは言えない。
- 情緒的、感情的側面に依存した鑑賞法であって、教育の理念に沿っていない。
などなど、その批判は枚挙にいとまがありません。
対話型鑑賞に対する反論のほとんどが、学校教育の中でも美術科教育としての鑑賞法としての評価です。
そのため、学校教育という側面からみれば、そのいずれも正しい意見だと言えます。
好きにならなきゃ始まらない
鉄道マニアやガンプラマニア。どんな道にも極める人がいます。
なぜ、極められるのか?
一言で言えば好きだからではないでしょうか。
探究型鑑賞は、美術品や美術史、アート全般に関心のある方にはとても楽しめるし、勉強にもなります。
しかし、好きになる前に、例えば鉄道に関心がない人が、鉄道の写真を撮ることは稀でしょうし、ガンダムに関心がない人がガンプラを極めようと思うこともないでしょう。
多くの人が、好きになってから探究しようとする心が芽生えます。
そして、何かを好きになるのに特段の理由がないことも普通のことです。
人の行動動機は、外部からの要請や圧力で行動する「外発的動機」と、自身で何かをやらなくてはならないと思い行動する「内発的動機」に分類できます。
このうち、外発的動機は、反発心《心理的リアクタンス》から逆効果を示す場合が多いことが知られています2。
つまり、学校の美術科教育は、美術に関心のある児童生徒には「内発的動機」として探究心が促されますが、関心のない児童生徒には「外発的要因」として反発が生じやすくなります。
「食わず嫌い」ということばもありますから「やってみたら意外と面白かった」ということもあるかもしれませんが、強要すると反発の方が大きくなってしまうでしょう。
音楽を好きになるとき、作曲家や作詞家、歌手や奏者について知っている必要はありません。
メロディや歌詞、リズムが好きになってから、曲名や演奏者を知りたくなるでしょう。
同じように、絵を好きになるとき、作品名や作家について知る必要はありません。
好きになってはじめて、もっと知りたいという知的欲求が内発されるのですから。
<注記>
<参考文献>
・フィリップ・ヤノウィン著/福のり子訳 『学力をのばす美術鑑賞』淡交社 2015
・美術科教育学会 『美術教育学の歴史から』 学術研究出版 2019