こどもの声を聴き、向き合うってどういうことでしょう?
本気でこどもに向き合い、そしてこどもに助けられたひとりの男の物語からそのヒントを探ります。
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こんな絵本は売れない
漫画家を目指した彼は、なかなか作品を出版することができませんでした。
ふとしたチャンスから念願の絵本を出版します。
しかし、その絵本は、編集者や保護者、絵本評論家から酷評されます。
「この絵本は売れません」
「こんな絵本はこれで最後にしてください」
「下品」
「こんなくだらない絵本は図書館に置くべきでない」
ヒーロー
華やかな出で立ちで登場し、悪をやっつけ、ポーズをキメるヒーロー。
ヒーローは悪者を、痛めつけ、ひれ伏せさせることで、皆から感謝されます。
戦いで街が破壊されるのは毎度のこと。
でも、壊したまちを修復しているヒーローは見たことがありません。
漫画家を目指す彼は、そんなヒーロー像に疑問を持っていました。
描かれるのは、善と悪、正義と悪漢。
善は悪に勝り、正義は勝つ。
本当にそうだろうか・・・。
数々の戦争の歴史は、正義の名の下、善と悪の戦いとされてきました。
しかし、本当に相手を叩き潰すことで、悪はなくなるのだろうか。
倒された方の憎しみは増幅され、さらに激しい暴力が加えられる。
暴力の応酬はさらに多くの憎しみを生んでしまう。
なぜなら、相手にも、正義の理論が働いているからです。
正義の反対は、悪ではなく、違う正義なのです。
本当の敵
倒しても、憎しみが生まれず、人類に共通の敵をなくすことが本当の正義ではないだろうか。
国籍、年齢、人種、どんな人にも共通の正義は何なのか。
領地やお金、そして宗教や歴史でもなく、ごく身近にあって誰でも経験し得る敵。
飢え。
それは肉体的にも精神的にも、時間とともに確実に人を蝕んでいきます。
食べ物が必要な人は身近なところいもいるのに、その存在にすら気がつかない。
自身も経験した、飢えから救ってくれるのが、本当のヒーローではないだろうか。
そしてそのヒーローは人を救うことで、自らが傷つき、弱くなることも厭わない。
決して自慢することもなく、身近な苦難を解決してくれる。
本物のヒーローは、かっこ悪く、弱さを持ち合わせ、目立たない。
それでも覚悟をもって、困った人に手を差し伸べる。
それが、彼が思い描いたヒーローでした。
小さな支持者
酷評された絵本でしたが、やがて小さな読者が現れはじめます。
彼らは、繰り返し繰り返しその本を手に取りました。
図書館ではいつも貸出中、新冊をいれてもすぐにボロボロになる。
キャラクターのステッカーを貼った出版社の車が幼稚園に入ってくるとこどもたちは大喜び。
その変化に彼自身驚き、この小さな読者たちこそ、自分が向き合うべき本当の相手だと悟ります。
そう、絵本を酷評していたのは、読者ではなく大人だったのです。
こどもは、自らを犠牲にして、たった一人で、正義を貫くかっこ悪いヒーローを認めてくれました。
大人が気が付かなかった価値に、こどもは気がついてくれたのです。
彼は、こどもだからといって、ことばを省略したり、話しを聞いたふりはしませんでした。
大人、こども、老人、誰にでも同じことばで伝えました。
人が生きる意味は?
こんな、こどもにとって難しいテーマであっても、わかりやすいことばでしっかりと伝える。
それが彼の信念でした。
認知心理学や生理学的にみて、こどもは大人になる過程にあることは間違いありません。
大人より能力が劣る面も多々あります。
しかし、すべてにおいて劣っているのか、という点においては立ち止まって考える必要があるでしょう。
むしろ大人が持ち得ない特別な力を持つ存在として、敬意をもって接することが必要ではないでしょうか。
やなせたかしが、気づかされたように。
1919年 | 大正8年 | 0歳 | 高知県に生まれる |
1921年 | 大正10年 | 2歳 | 弟 千尋が生まれる |
1923年 | 大正12年 | 4歳 | 関東大震災 |
1924年 | 大正13年 | 5歳 | 父 清 中国南西部福建省の厦門(アモイ)で客死(享年33歳) 千尋は医師の叔父(寛)の養子となる。 たかしは母と高知市内で暮らす |
1926年 | 大正15年 | 7歳 | 母が再婚。たかしは叔父の家に預けられる。 |
1937年 | 昭和12年 | 18歳 | 東京高等工芸学校図案科入学 |
1940年 | 昭和15年 | 21歳 | 田辺製薬 宣伝部入社 召集令状が届く |
1941年 | 昭和16年 | 22歳 | 真珠湾攻撃 小倉第12師団西部野戦重砲73部隊に配属 |
1943年 | 昭和18年 | 24歳 | 上海に展開。その後福州に再上陸 |
1944年 | 昭和19年 | 25歳 | 弟 千尋がフィリピン沖にて戦死 |
1945年 | 昭和20年 | 26歳 | 終戦 |
1946年 | 昭和21年 | 27歳 | 日本に引き上げ、高知新聞に入社 |
1947年 | 昭和22年 | 28歳 | 高知新聞を退社し東京へ 三越宣伝部に入社 「独立漫画派」のメンバーとなる |
1953年 | 昭和28年 | 34歳 | 三越を退社しフリーの漫画家へ転身 (手塚治虫のジャングル大帝、リボンの騎士 鉄腕アトムが大ブレーク) |
1958年 | 昭和33年 | 39歳 | 構成作家、舞台美術などに奔走 |
1962年 | 昭和37年 | 43歳 | やなせが作詞した「手のひらを太陽に」のいずみたくが 曲を付けリリース |
1964年 | 昭和39年 | 45歳 | 東京オリンピック開催 |
1966年 | 昭和41年 | 47歳 | 詩集『愛する歌』を山梨シルクセンター (現サンリオ)から出版 |
1967年 | 昭和42年 | 48歳 | ラジオドラマ『やさしいライオン』オンエア |
1969年 | 昭和44年 | 50歳 | 手塚治虫『千夜一夜物語』のキャラクターデザインを担当 |
1973年 | 昭和48年 | 54歳 | 絵本『あんぱんまん』がフルーベル館「キンダーおはなしえほん」 の10月号として出版 |
1975年 | 昭和50年 | 56歳 | 絵本『それいけ!アンパンマン』フルーベル館から出版 |
1976年 | 昭和51年 | 57歳 | ミュージカル『怪傑アンパンマン』上演 |
1988年 | 昭和63年 | 69歳 | アニメ版『それいけ!アンパンマン』放映開始 |
1993年 | 平成5年 | 74歳 | 妻の暢 乳がんで逝去 享年75歳 |
1995年 | 平成7年 | 76歳 | 阪神淡路大震災 |
1996年 | 平成8年 | 77歳 | 高知県香美市に「アンパンマンミュージアム」開館 |
2011年 | 平成13年 | 92歳 | 東日本大震災 |
2013年 | 平成25年 | 94歳 | 『それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ』公開 舞台挨拶に立つ 同年10月 心不全のため逝去 |
<参考資料>
・COTEN RADIO 『それいけ!やなせたかしとアンパンマン 〜心優しきヒーローに託された愛と勇気〜』
<参考文献>
・中野晴行/著 「やなせたかしー愛と勇気」を子どもたちにー」あかね書房 2016年
・筑摩書房編集部/著 「アンパンマン」誕生までの物語 東京筑摩書房 2015年
・中村圭子/編 「メルヘンお魔術師90年の奇跡」 河出書房新書 2009