〜山本譲司/著「累犯障害者」1から〜
火の手
2006年1月7日未明、山口県JR下関駅から火の手が上がり、昭和17年に建築され市民に愛された街のシンボルは数時間で焼失しました。
放火でした。
出火からわずか3時間後、一人の男が逮捕されます。
容疑者は男性 Aさん74歳。
八日前に福岡刑務所を出所したばかり。
北九州市内の自転車置場などで野宿生活を続けていました。
Aさんは、過去10回放火の罪で服役したことがあり、広島で犯した放火の裁判で精神鑑定を受けています。
結果は、「知能指数66、精神遅滞あり」です。
一般に知能指数70以下(自治体によって72や75とする場合もあります)は知的障害とされ、障害者手帳にあたる療育手帳の交付基準を満たします。
知能指数66は、軽度知的障害に該当します。
法務省が公表している2022年矯正統計調査2によれば、新受刑者18,272名のうち、
知能指数69以下の受刑者は3,493名、全体の19%です。
79以下は、7,210名、約40%にも達します。
彼らは、知的に障害があるから犯罪を犯すのでしょうか?
違います。
犯罪動機と医学的因果関係は一切ないことが知られています。
自らも収監経験のある著者、山本は、殆どの知的障害者は規則や習慣に極めて従順で、争い事も好まないと言います。
ただ、逮捕されたあとの事情聴取や裁判のやりとりでは、ことばの意味を理解できず、捜査に非協力的、反省がない、など心証を悪くしてしまうことも少なくありません。
実際、Aさんは著者山本との面会で
「紙に火をつけて段ボールに入れたら、いっぱい燃えだした。駅が燃えると思わんかったから驚いて逃げた」
と語っています。
しかし、調書では「はじめから計画的に、駅全体を燃やすつもりで火をつけた」と供述しています。
調査官から、難しい質問をされ最後に「計画的だったんだろ?」、「駅全体を燃やすつもりだったんだろ?」と問われ、意味を理解できないまま、「はい」と答えてしまったようです。
では、なぜ彼は何度も罪を犯すのでしょうか。
Aさんは、刑務所に戻ることを望んでいました。
幼いころから父親に強烈な虐待を受けていた福田は、少年の頃入所した少年救護院(1997年に「児童自立支援施設」に改称)が初めての安息の場になりました。
刑務所に戻るなら、放火でなくとも無銭飲食や万引きでもよさそうですが、Aさんは「そんな悪いことはできない」といいます。
Aさんにとって放火は、建物を燃やしたり、増して人的な被害を与えることが目的ではなく「何かに火をつける=刑務所に入れられる」という構図で認識されていました。
Aさんにとって、無銭飲食や万引きは店の人に迷惑をかける悪いことであり、火をつけるのは紙というモノであってモノには感情がありません。そのため、放火そのものが悪いこととは認識されていなかったようです。
知的に障害のある受刑者の再入所率は、70%以上です。
そしてその殆どがAさんのように罪を犯すことそのものが目的ではなく、刑務所に戻るために罪を犯してしまいます。
届かない福祉の手
自身の目的のために、犯罪に手を染めることは許されることではありません。
であるならば、罪を犯さないよう未然に防止する方法はないのでしょうか。
「福岡刑務所の先生に『セーカツホゴ』を教えてもらっとったから、役所に行った」
Aさんは、福岡刑務所を出所するときに、生活保護のことを教えてもらい、事件の半日前、北九州の市役所を訪れています。
しかし、窓口では「住所がないとダメだ」と言われ、「刑務所から出てきたけど、住むところがない」と何度言ってもとりあってもらえません。
そして一枚の切符を渡され、役所を追い出されます。
その切符が下関行きの切符でした。
役所の職員の真意はわかりませんが、とにかく所轄外のまちに行ってほしかったのでしょう。
Aさんに福祉の手は届きませんでした。
Aさんだけではありません。
冒頭に書いたように、受刑者の20%は知的障害がある可能性があります。
社会に安息の場を求めるも、そこには自分を理解してくれる者はいない。
刑務所だけが、安らかな眠りと食事を得られる唯一の場所だったとしら・・・。
はたして、このような事件は、本当に本人にだけ責任があると言えるのでしょうか?
Aさんは、2016年に仮出所し、現在はNPO法人 抱僕の支援を受け、穏やかな毎日を送っておられるようです。
- 山本譲司/著 『累犯障害者』 新潮社 2017年 ↩︎
- 法務省 矯正統計調査 2022年版 ↩︎