自治体の財政改革で最初に持ち上がるのは、議員定数ではなく文化芸術分野の予算縮小です。
限りある予算を有効に使いたいと思うのは当然です。
しかし、根拠なく前年から○○%削減、とするのは取り返しのつかない文化的損失を招く可能性があります。
1.伝統と文化
2008年、当時の大阪市市長の橋下徹氏は国立文楽劇場の運営母体である文楽協会への補助金カットを明言しました。
その後、2012年市暫定予算案で補助金を前年度比25%削減と発表します。
また、同年6月に「文楽協会が公開での会談を拒否した」として補助金の凍結を示唆しました。
その後、10月に同協会の技芸員が公開討論に応じたため、その場で補助金支出の前提条件として、目標動員数などの条件を設定しました。
2012年当時、約5,700万円あった大阪市の補助金1は令和6年(2024年)予算では約1,900万円になりました。
橋本氏は、2009年の府知事時代の文楽観劇後に「二度と見に行かない」と発言。
2017年10月に国立文楽劇場で『曽根崎心中』を観劇した後「ラストシーンがあっさりしすぎ。
ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と批判。
その翌日にも「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」などと発言し批判されました。
一方で、橋下氏は「文楽は大衆芸能であり、多くの人に見てもらってこそ芸能。その運営や講演の内容には創意工夫が必要」とも指摘しています。
確かに、初期の文楽は、大陸から伝わった猿楽や人形傀儡(にんぎょうくぐつ)などが分化発展して日本独自の文化芸術として定着しました。
その成り立ちに目を向けると、竹本座と富竹座の競争によって、より多くの大衆を惹きつける物語が創作されます。
また、3人で人形を操る技術が開発され、より洗練された三味線による演奏との組み合わせが発達することで、芸能として定着しました。
京都には、創業200百年を超える和菓子の老舗が何件もあります。
1716年創業 笹屋伊織、1803年創業 鶴屋吉信、1804年創業 亀末廣、そのどれもが、創業当時の味を守るだけでなく、新しい和菓子を創出し続けることで現代に継承された老舗です。
決して、同じ菓子を売り続けることで長く経営できたわけではありません。
人は飽きる生き物だからです。
現在の文楽が過去の文化を引き継ぐだけで、創意工夫が行われないなら、衰退は免れないでしょう。
現在の国立文楽劇場の動員数は年間10万人前後で、一部の愛好家による高尚な趣味、のように受け取られても仕方ないかもしれません。
貴重な血税をできるだけ多くの市民に還元したいと思うのは、政治家のあるべき姿であり、批判されるものではないでしょう。
橋下氏に言わせれば、過去の作品を演じ継承するだけが文化芸術ではないだろう。
衰退しないよう、もっと人気がでるよう、創意工夫と努力をしてほしい、ということです。
2.美術館の現状
今から約20年前、2003年に地方自治法が改正され、自治体の施設管理を民間に委託できる「指定管理者制度」が施行されます。
指定管理者制度の導入は強制ではありませんが、財政的負担を減らしたい多くの自治体がこの制度を活用しています。
2011年、指定管理者制度を導入した芦屋市立美術博物館の学芸員4名が一斉に退職するという事件がおきました。
指定管理者制度により運営を担ったNPO法人「芦屋ミュージアム・マネジメント」(以下、「AMM」) は、経費削減を理由に、学芸員を4名から2名に減らすことで2010年度に約3,100万円計上していた人件費を約1,100万円圧縮し2,000万円にする方針を決めました。
これに反発する現職の学芸員4名全員が退職を申し出ました。
美術館は、自館が保有する美術品だけでなく、市民や団体から寄贈されたり、寄託(預かった)美術品も収蔵・展示しています。
美術品を寄贈、寄託した市民からは美術品の返還を求める声もあがりました。
ニュースでは、あたかもAMMが悪者のように報じられましたが、問題は少し違うところに存在します。
芦屋市は、市政50年を記念して1990年に開館します。
その5年後1995年に阪神淡路大震災で、神戸市、芦屋市は甚大な被害を被り、大きな借金を抱え込むことになります。
震災から8年後の2008年、市は借金返済と財政強化のために、指定管理者制度を利用した美術館の民間委託を検討し、委託先が見つからない場合、美術館の閉鎖と土地の売却も辞さない考えを発表します。
市は指定管理者の募集を開始しますが、なかなか応募する団体は見つかりませんでした。
そうした中、美術館を持続させたい市民グループがNPO法人「芦屋ミュージアム・マネジメント」を発足し、指定管理者に応募、運営を任されます。(※現在は、株式会社 小学館集英社プロダクションが指定管理者です)
このように、AMMは美術館を存続させたい市民グループの活動から生まれた団体です。
もしも、AMMがなかったら、芦屋市美術博物館は本当に解体されていたかもしれません。
学芸員の削減は残念なことです。
しかし、それでも、美術館を維持できるなら、受け入れるべき施策のように思われます。
2000年初頭は、芦屋市美術博物館だけでなく、いたるところで美術館の存続意義が議論されました。
日本の約5,000館にも及ぶ美術・博物館が文化芸術をどのように保存継承し、現代に活かすか、などの議論を経ないまま、いわゆる箱モノ行政として、記念碑的に建設されたことが問題の根幹です。
文化芸術事業は利益を求める営利事業ではありません。
国から補助金が交付されるから美術館をつくる、赤字続きで重荷だから閉鎖する。
そのような単純な発想で取り組んではならない事業分野です。
しかし、だからと言って、漫然とした経営が許されるわけでもありません。
文楽と同様に、その存続には、たゆまぬ努力が必要です。
3.美術館の意義
美術館には、主に①収集、②展示、③保存修復、④調査研究、⑤教育普及の5つの事業があるとされます。
しかし、なぜこの5つの事業を貴重な税金を使って行わなければならないのでしょうか。
モノには、見た目の美しさや珍しさなど、目に見える顕在価値と、歴史や文化の証しなど目に見えない内在価値があります。
今日では、縄文土器の中でも炎のような装飾をほどこした火焔土器には考古学的な価値と、美術的価値があるとされていますが、この縄文土器に美的要素が含まれていると最初に指摘したのは、岡本太郎です。
柳宗悦(やなぎ むねよし)は日常で使われる名もなき作家が作った食器や日用品に美を見出し、<用の美>と呼びました。
マルセル・デュシャンは、拾ってきた便器に<泉>というタイトルを付け展覧会に応募します。しかし、展覧会への展示は拒否されます。
便器のオリジナルは消失しましたが、16点制作されたレプリカは、それまでの固定化した美術の概念に風穴を開けたシンボルとして、世界の美術館で展示されています。
それまで、見向きもされず、無価値と思われていたモノが、ある見方によって突然価値あるモノになる。
このようなことは美術界では頻繁に起きています。
むしろ、これこそが美術の面白さの源泉とも言えるでしょう。
ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌやアンリ・マティスも、最初は誰も注目していませんでした。
しかし誰かが、彼らの作品に唯一無二の価値を見出しました。
その価値はある日突然見出されたものではありません。
過去の作品や作風との比較、時代時代の価値観の変化によって見出されたものです。
つまり、同時代や過去と現代の作品との対比によって、はじめてその価値が明らかになります。
美術館は過去や現代の作品を収蔵し、展示することで、価値を見えるものにしてくれます。
収集や保存修復、調査研究、教育普及などの事業はその手段といってもよいでしょう。
4.これからの美術館
2021年12月、文化庁文化審議会は「博物館法制度の今後の在り方について(審議のまとめ案)」を答申しました。
答申では、現在の博物館法に定められる資料の収集・展示・保存・調査研究・教育普及に加え、下記の5つの機能を博物館に求めています。(※博物館には、いわゆる博物館の他に、美術館、植物園、水族館が含まれます)
<博物館に今後必要とされる役割と機能>
- 交流・対話、市民による創造的活動の促進と支援
- 持続可能な未来と平和について対話・学習する機会の提供
- 地域の福祉(健康・幸福、生活の質)の向上への貢献
- 社会的包摂・相互理解・多文化共生への寄与
- 地域社会の活性化
モノに加え、人や社会との関わりが盛り込まれました。
美術館には、モノの収蔵に加え誰にでも開かれた場所として、人や社会と交流し、学びを得る場所としての機能が求められています。
ただし、これは容易なことではありません。
日本博物館協会の調査2によれば、博物館1館あたりの学芸系常勤職員の平均人数は、2 . 48名です。
都市部の大型博物館に集中する傾向がありますので、中央値は1名です。
1名ないし2名程度で、5つの事業のほか、社会的包摂など新たな事業に取り組むのは現実的ではありません。
毎年約2万名が学芸員資格を取得しています。
であるにもかかわらず、学芸員の数は一向に増えていません。
理由は大きく二つあります。
一つ目に、芦屋市美術博物館の事例でもあげたように、人件費に余裕がなく増員できないこと。
二つ目の理由は、学芸員の処遇があまりにも低水準であること。
就職情報誌Indeedの調査3によれば、学芸員の平均年収は約320万円です。
私立か公立か、その規模によって差がありますが、その幅は200万円〜600万円ぐらいでしょう。
極めて多忙であるにもかかわらず、その処遇はなかなか改善されていません。
苦肉の策として、ボランティアやサポーターによって補完する取り組みもなされていますが、小規模美術館でボランティア団体を組織し運営することも容易ではありません。
岡山県倉敷市の大原美術館は開館以来公的な補助金を受けていません。
運営母体が、クラレであること、美観地区という観光地の中心に位置していること影響していますが、収蔵品や企画展、若い作家を倉敷に滞在させ、作品を買い上げるアーティスト・イン・レジデンスを毎年実施するなど、展覧会以外の事業にも力を入れています。
5.美術館って必要?
美術館がなくても、生命に影響はありません。
それは音楽も同じです。
音楽や美術なしでも生きていくことはできます。
しかし、それらがない世界はどれほど味気ないものでしょう。
そして、収蔵される美術品には美的価値だけでなくと、人の生きた証しが刻まれています。
もし、美術館がなければ作品は散逸し、どこかで時間とともに劣化し、いずれ無に帰すでしょう。
美術館は、過去の作品を守ることで、現在、そして未来の歴史を築く礎となるはずです。
<注記>
- 大阪市一般会計 文楽協会補助金公開サイト ↩︎
- 日本博物館協会 「令和元年度 日本の博物館総合調査報告書」 ↩︎
- Indeedウェブサイト ↩︎