いじめという問題は学校や職場だけでなく、SNSという仮想空間にまで広がってしまいました。
いじめられた人には、謝罪では癒えない、深い心の傷が刻まれてしまいます。
いじめにあったとき、いじめを見たとき、我々はどうすればよいのでしょうか。
蝿たたきになるな。
逃れよ、わたしの友よ、君の孤独の中へ。
君の孤独の中へ。
わたしは、君が毒ある蝿どもの群れに刺されているのを見る。
逃れよ、強壮な風の吹くところへ。
逃れよ、わたしの友よ、君の孤独の中へ。
君の孤独の中へ。
君はちっぽけな者たち、みじめな者たちの、あまりにも近くで生きていた。
目に見えぬ彼らの復讐からのがれよ。
君に対して彼らが行うのは復讐心以外の何ものでもないのだ。
彼らにむかって、もはや腕はあげるな。
彼らの数は限りがない。
蠅たたきになることは君の運命ではない。
ーニーチェ『ツァラトゥストラ』 第1部 市場の蝿 よりー
市場の蝿
市場は世の中、蝿は愚かな者を指してます。
愚かな者とは、盲目的に信仰に頼り、自ら意思決定することなく、己の成長も望まない者たちです。
彼らは無数に存在するといいます。
インターネットやSNSが発達するはるか昔の140年前、いえ、それ以前からいじめは存在しました。
そして、その蝿はしつこくあなたを追い回してきます。
もはや、蝿を追い払うことや打ちのめすことに労力を使うな、とニーチェは言います。
あなたの貴重な時間や労力をそのようなことに使うのはもったいないのです。
そして、ニーチェは言います。孤独の中へ逃れよと。
孤独は悪い事のように捉えられがちですが、決してそのようなことはありません。
多くの賢者が、孤独の中で新たな道をみつけています。
神は死んだ
神の死と超人
ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844 – 1900)は19世紀のドイツの哲学者で、彼の思想は「実存主義」として後に知られる哲学的潮流に強い影響を与えました。
著書『ツァラトゥストラ』1はゾロアスター(Zarathustra)のドイツ語読みで、古代ペルシアのゾロアスター教の預言者の名前に由来します。
ニーチェ39歳のとき、全4部構成の大著をわずか10日で書き上げたと言われています。
ニーチェが生きた時代は、科学の進歩、産業革命による社会構造が急速に変化した時代です。
それまでに脈々と続いてきた宗教的信仰によって形成されてきた伝統的価値感も大きく転換する必要がありました。
ニーチェは、神ではなく実在する人間が自ら進む道を決め、行動するための価値観を形成しなければならないと考えました。そして伝統的な道徳や価値観を超えて、自らの価値を創造し成長する「超人」(Übermensch)という概念を提唱しました。
聞け、わたしはあたながたに超人を教える。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部 市場の蝿より
超人は大地の意義である。あなたがたは医師のことばとしてこう言うべきである。
超人が大地の意義であれと。
兄弟たちよ、わたしはあなたたちに切願する。大地に忠実なれと。あなたがたは天上の希望を説く人々を信じてはならない。かれらこそ毒の調合者である。彼らがそれを知っていてもいなくても。(中略)
かつては、神を冒涜することが最大の冒涜あった。
しかし、神は死んだ。そして神とともにそれらの冒涜者たちも死んだのだ。
このように、ニーチェは運命を神に委ねる時代が終わったことを「神は死んだ」と表現しています。
個人が自己を超えて成長し、自己実現を追求することを強調しており、実存主義における「自己の自由と責任」のテーマと共鳴しています。
これらの考え方を通じて、ニーチェは人間存在の根本的な問題に取り組み、個人の自由、責任、自己実現の重要性を強調しました。
このため、彼の思想は後にキルケゴールやサルトルなどの実存主義哲学者に影響を与え、その流れの一部として理解されることがあります。
なくならない、いじめ。
なぜ、いじめるのか?
カール・ポパー(Karl Raimund Popper, 1902-1994)2によれば、支配者は共通の敵をつくることで、団結を強めるといいます。
支配階級が真実に統一されていると感じ、ひとつの部族、すなわち一大家族のように感じるようになるためには、階級の成員の間のきずなと同様に、階級外からの圧力も必要なのである。この圧力は支配者と被支配者の間の断絶を強調し拡張することによって確保される。被支配者たちが一つの異なる、まったく低劣な人種であるという感情が強くなればなるほど、支配者たちの間の一体感は強くなるであろう。
カール・ポパー『開かれた社会とその敵』
いじめという武器を使い、攻撃する相手をつくることで、団結を強めようとするのが社会だとというのです。
誹謗中傷がなくならないのも、このためでしょう。
ニーチェがいう蝿は、いなくなることはないのです。
もはや、蝿と戦う理由はありません。
誹謗、中傷、無視、それらからは、逃れることが最善の策のようです。